「高学歴者の憧れの職業が大工?」(2017/3/10)

出典:プレジデントオンライン

 http://news.livedoor.com/article/detail/12011154/


木造建築の大工職を大学や大学院卒の憧れの職業に変えたのが沼津市に本社を置く平成建設である。同社には200人以上の大工・多能工がいるが、その多くは大学や大学院建築系の卒業者である。東大、京大、東工大、東京芸大、早大、慶大など高偏差値の学生が続々と入社するその秘密とは?

■大工を再び憧れの職業にしたい

かつて大工は子供たちの憧れの職業の一つだった。だが、木造の在来工法から鉄筋・鉄骨の近代工法に時代は移り、1980年代に100万人いた大工がいまは40万人以下。しかも、若者が新たに大工を目指さないため高齢化が進み、50歳以上が中心だ。

「このままでは在来工法を担う大工がいなくなってしまう」と、立ち上がったのが、平成建設創業者であり、社長である秋元久雄(67歳)だ。

秋元はこれまで誰もやらなかった独自の方法で、大工を魅力ある職業に変えた。その結果、同社には有名国立・私大の大学・大学院卒の学生が次々と入社、全国的にも珍しい「高学歴大工集団」に成長した。

全社員の約4割に当たる200人以上が大工など現業職だが、その多くが新卒採用組だ。東大、京大、東工大、東京芸大、早大、慶大など一流大学の出身者もおり、大半が建築系である。地方の国立大出身者も多く、8割が県外からの採用であり、決してUターン組ではない。有資格者も多く、1級建築士が59人、1級建築施工管理技士が49人、1級建築大工技能士が24人など資格取得者は150人近くにものぼる。まさにプロ集団だ。

平成建設は、静岡・神奈川・東京を主な営業エリアとして、賃貸マンションの建設・経営、戸建て住宅の建設、リフォームを手がけている。木造の在来工法を得意としているが、売り上げの4割が賃貸マンション、残り4割が注文住宅やリフォーム、2割が店舗など商業物件の建設だ。業績は好調で1989年の創業以来、25期連続で増収を続けている。2015年度は少し、売り上げを落としたものの、年商は150億円に達し、社員総数は575人を数える。中小企業と呼ぶには規模が大きいが、秋元の経営方針はまさに「進化系」にふさわしい。

大工職を変えたと言うより、本来は大工の「復権」というべきなのかもしれない。手品のように住宅を組み上げていく大工はもともと子供の憧れの職だった。その大工たちを統べる棟梁は尊敬される存在である。秋元の父も祖父も棟梁だった。しかし、秋元自身は高いところに登るのが嫌いで、家業を継がず、後述するように紆余曲折を経ながら、結局、大工の世界に帰ってきたのだ。

大工の伝統を大事にしながらも、育て方は近代化した。師弟関係の中で技を盗んで覚えるようなやり方では、現代の若者はついてこない。技術の習得を体系化し、大工だけではなく、設計、施工管理、営業、弟子の育成までできるかつての棟梁を目指すべく多能工化を図っている。

■なぜ本物の棟梁を育てなければならないか

「誰でも10年がんばれば職人としてはものになる。だが、設計や施工管理まで担えるようになるには、努力と才能が必要です。いまは形骸化してしまったが、昔の棟梁はそれをやっていたんですよ。私たちはこの会社で、本物の棟梁を育てていきたい。そうしないと、木造文化が消えてしまいます」と秋元。

建築業界では営業や施工管理以外は外部の下請けに出すのが普通だ。建設工程は分業化され、基礎、足場、型枠など、それぞれ専門の業者に任せる。だが、平成建設はこの常識を打ち破って、建設に関するこれらの主要工程を自社で行い、社員が施工する。そのための多能工化だ。

「元請け、下請け、孫請けが当たり前の建築業界では、現場の職人は元請けの顔色ばかりをうかがい、誰も施主さんの要望をうけとめない。これでは仕事に血が通いません」

昔の棟梁は施主と現場で話し合いながら、臨機応変に設計を変えて要望に応じることができた。だが、いまでは工期短縮と効率化のために施主といえどもその要望を切り捨てられる。

平成建設の職人たちは自分の手で家を作ることに憧れて入社しているだけに、その仕事ぶりは丁寧だ。「作った家を引き渡すのが寂しい」という大工がいるほどである。その仕事ぶりを施主の近所の人たちも評価して、隣同士で連続5軒も建てたことがあるという。

受賞も相次いでおり、2013年度には経済産業省「おもてなし経営企業選50」、2015年度はグッドデザイン賞「ベスト100」も受賞。秋元がゼロから育ててきた職人たちが評価を得る仕事をするようになった。

とは言え、最初から大卒が採用できたわけではない。創業当初は中途採用で職人を集め、1998年頃から新卒を採り始めた。だが、地元の静岡、神奈川からは大学生が集まらない。そこで、秋元は思いきって東京で募集しようと、企業合同の会社説明会に自ら乗り込んで、「やり甲斐」や「大工の面白さ」を訴えた。大阪や名古屋の会社説明会にも足を運び、訴え続けた。初任給も大手ゼネコン並みの給与にした。

しかし、人数合わせに走らず、じっくりと面接し、大工や建築業界を本当に生涯の仕事としたいのかホンネを確認した。大工として採用しても入社後、希望に応じて営業や不動産、リフォームなどの職種に回った人もいる。

2006年度からはインターンシップ制度も始め、卒業予定者に1週間の職場体験をしてもらっている。これも、入社後のミスマッチを防ぐためだ。建築業界では職人が1年で6割辞め、3年で9割がいなくなるといわれているが、平成建設では仕事や会社が嫌になって辞める社員はほとんどいない。

■家業の工務店を継がずに就職

秋元は1948年、工務店の長男として生まれた。父は棟梁であり、経営者として20人ほどの従業員を雇っていた。父は秋元を大工にして後継ぎにしようとしたが、本人にその気はなく、高校時代からウエイトリフティングにのめり込み、オリンピック選手を目指した。

高校卒業後は自衛隊に入隊、その体育学校でウエイトリフティングの訓練に明け暮れたが、残念ながら全日本選手権レベルに留まった。その後、授業料免除の特待生として大学に進み、経済学を学ぶが、熱中できず中退。25歳で地元に支店のあったデベロッパーに営業として入社した。だが、その会社の経営が悪化、2年後にハウスメーカーに転職した。

営業の才能があったのだろう、顧客に建物を使った事業プランなどを提案するやり方で、1年目から約2000人もいる営業の中でトップセールスマンになった。仕事をするうちに建築業界の課題を見せつけられた。誰も施主のことを考えないし、自分の知っている棟梁や大工の仕事の質が低下し、惰性で働いている現状に腹が立った。

このままでは高齢化が進み、大工が日本から消える。それならば自分が現状を変えようと、40歳になった秋元は1989年、平成建設を立ち上げた。秋元の考え方に賛同した大工とたった2人のスタートだった。自社で社員として職人を育て、主要工程を内製化する事業プランを親しい経営者や知人は全員一笑に付し、やめた方がいいといった。

「逆に反対されるなら、独立できると思いました。私が相談したみなさんは、仕事のできる有能な人たちなので、少なくとも彼らがライバルになることはありませんから」と、秋元は豪快に笑う。

秋元はべらんめぇ口調で、一見、豪放磊落に見えるが、緻密に長期的な視点で考えている。東日本大震災からの復興や東京オリンピック需要で建築業界は人手不足に陥っているが、じっくりと内製化してきた平成建設にはなんの影響もない。にわか仕立てで経験の少ない職人を使う必要もない。急成長はしないが、ゆっくりと右肩上がりで伸びていける。

多能工化を進めてきたことで、複数の現場に効率的な人員配置が可能なため、工期も短縮、品質も維持できる。その結果、職人を自社で抱えながらも無駄がない。ITも積極的に活用し、設計、積算、発注、工程管理などがシステムで連携され、土地活用、相続税算出などのソフトも自社開発している。結果、大手ゼネコンの営業利益率が平均3%に対して、平成建設は5%に達する。

秋元はこれから海外進出を狙っている。特にアメリカの富裕層に日本の木造建築は高く評価されるはずだと信じている。棟梁が「Touryo」と海外で呼ばれるようになれば、大工を目指す若者がもっと増えるだろう。


~「e職人タウン」~
♪職人応援サイト♪
http://www.e-shokunin.town/

~「e工務店タウン」~
♪工務店応援サイト♪
http://www.e-koumuten.town/



ページの先頭へ