大工が不足している原因は何なのか(2015/8/10)

2020年の五輪開催都市を決めるIOC(国際オリンピック委員会)総会が開かれた2013年9月7日。ある大手建設会社の部長は、この日の開催地決定を別の意味で注目していた。「現状でも、これまでにない職人の労賃高騰がものづくりの現場を直撃している。これでオリンピック開催が決まれば…。果たして、増大する工事量をこなせる能力があるのか」

 建設業界の関係者がこう心配するほど、職人不足と労務費高騰は著しい。なぜ、職人不足はこれほどまでに深刻化したのか。東日本大震災からの復興などで工事量が増えたことも理由の1つだが、それだけではない。実は、震災前から東北地方で職人不足が顕在化していたのだ――。

東日本大震災からの復興需要によって職人不足は深刻化したが、実際には震災前から職人が集まらない状態が続いていた。

■「大工が足りない」

 2010年12月、仙台市。ある公共建築物の構造体をつくる工事で、複数の専門工事会社から集められた型枠大工が、急ピッチで型枠を組んでいた。型枠とは、コンクリートを流し込むための枠のことだ。生コンクリート(生コン)車を予約した日はもう目前。そんな状況で、誰もがこう思っていた。「もう間に合わない」――。

 ある程度は予想できた事態だった。材料の加工段階から、型枠大工が足りなかった。15人いれば足りる現場だったが、型枠材の加工に手いっぱいで必要な人数を集められなかった。同業他社に電話をしても、「うちも余裕がない」と断られた。

 宮城県内のある専門工事会社に電話がかかってきたのは、打設予定日の約1週間前だった。「大工が足りないので何とか工面してくれないか」との打診だ。ちょうど1つの山を越えたばかりだったので、型枠大工を5人ほど送り出した。


■「既に手遅れだった」
 「うちの大工が出向いた時点で既に手遅れだった」。専門工事会社の社長はこう振り返る。打設の1週間前なら、6割の型枠が組み上がっていなければならない現場なのに、まだ4割しかできていなかったからだ。
 現場は、型枠を支えるパイプや、コンクリートの中に入れ込む鉄筋などが複雑に入り組んでいる。人数を増やせば増やすほど効率は落ちる。結局、打設予定日までに型枠を組み終えることはできなかった。
 追い打ちをかけたのは、生コン車の不足だ。組み終えられなくても、2~3日後に再予約できれば、工程の遅れはわずかで済む。しかし台数が減って需要過多になっていた生コン車を予約できたのは約10日後だった。先の社長は「恐らく工期には間に合わないだろう」とため息をついた。
 こうした現場は、決して特殊な例ではない。宮城県全体で、2010年の夏から年末にかけて型枠大工が不足していたのだ。同じように打設予定日に間に合わなかったり、帳尻合わせに追われたりした現場は多い。それが2011年2月時点で表面化していなかったのは、工程の遅れを何とか取り戻したからだ。
 型枠大工の業界団体である日本建設大工工事業協会(日建大協)宮城支部が2010年8月に会員企業向けに実施したアンケート調査は、「不足感」を定量的に表している。2009年に1568人いた型枠大工は2010年に1202人と、1年で366人減った。

■型枠大工が足りなくなったわけ

 日建大協宮城支部の枝松茂雄支部長は2011年2月の取材に対して、「不足感が表面化したのは2010年8月ごろ。公共工事、民間工事ともに少しずつ仕事が出始めたら、職人が集められない現象が起こった。ほかの会社に電話してもどこも同じ状況だった。急激に仕事が増えたわけではない」と話した。
 なぜ型枠大工が足りなくなったのか。そのメカニズムはこうだ。2008年のリーマンショック以前は、建設需要と必要な職人数がほぼ一致していた。発注に波があるので、時期によっては職人数が過剰だったが、単価が比較的高く、専門工事会社は職人の雇用を維持できた。
 ところが、2008年のリーマンショックによって、建設需要が一気に冷え込んだ。国土交通省によれば、約48兆円あった建設投資は3年間で5兆円以上減少した。建設投資の急激な減少に伴って、民間工事を中心に建設会社の価格競争が激化。安値受注のしわ寄せが専門工事会社に及んだ。
 収入が下がったことで、多くの型枠大工が2009年ごろに転職したり引退したりした。職人が減った段階で、建設需要が徐々に戻り始めた。そして、少し仕事が増えたとたんに、職人不足が露呈した。前述した仙台市の建築工事は、ちょうどこのころ行われていたものだ。

■1平方メートル500円の「ワンコイン大工」
 2009年ごろの職人を取り巻く環境は、リーマンショック前に比べてかなり悪化していた。専門工事会社の経営者や業界団体の役員が指摘していたのは、賃金の大きな低下だ。「元請け会社の安値受注が影響している」と複数の経営者が口をそろえた。
 単価の一つの基準である公共工事設計労務単価は、1990年代後半から下がり続け、2011年2月時点では、1996年比で71%まで下落していた。しかも、リーマンショックで職人の単価は暴落。日建大協の三野輪賢二会長は2011年2月の取材時に「一時は50%近く単価が低下した」と話した。今でこそ職人不足の深刻化によって公共工事設計労務単価は年々上昇しているが、当時はそうではなかったのだ。

1999年の賃金を100として、全産業男性労働者の年間給与、建設業男性労働者の年間給与、公共工事設計労務単価の推移を示したもの(資料:厚生労働省「賃金構造基本統計調査」と国土交通省「公共工事設計労務単価」を基に日経アーキテクチュアが作成)

 型枠大工のなかでは、「ワンコイン大工」という自虐的な言葉も飛び交った。1m2(平方メートル)の型枠を組む職人の労務単価が500円だったことからこう付けられた。三野輪会長は「1m2当たり500円だったら日給1万円未満。これでは食えない」と嘆く。

 多くの専門工事会社は、職人を抱えるのに四苦八苦した。社会保険などの経費が重荷になったからだ。そこで、独立させて下請けとして使うというあしき習慣が繰り返された。ある型枠の専門工事会社の社長は「2010年までは何とか社員として抱えて社会保険をかけて来たが、もう限界だった。3分の2の社員に一人親方になってもらった。申し訳ないけど余裕がない」と打ち明ける。一人親方とは、会社に所属しないフリーランスの職人のことだ。保険にも入れず、給料は日給制。そんな職人が増えていった。
(引用:日本経済新聞)





ページの先頭へ